厄除雲竜図

「厄除雲龍図」と狩野探雲

  • 天明7年(1787)、狩野探雲(たんうん)63才のときの作画で、大板4枚をつなぐ縦3m×横2.3mの大作。御本社拝殿内。
    「八方睨み」で参拝者の身に付着した災厄をことごとく祓い除けることから「厄除雲龍(やくよけうんりゅう)」の名がある。
  • 作者の狩野法眼(ほうげん)探雲は甘楽郡野上村(現群馬県富岡市)の生まれで、江戸に出て狩野派に学び、江戸城西の丸普請の際には障壁画の製作に従事したという。晩年は七日市藩の御用絵師を勤め、世に「上野(こうずけ)探雲」と称された。文化9年(1812)、88才の長寿を全うした。